この「NZ便り」は、NZから日本の友人に宛てた手紙をまとめたものです。
ニュージーランドってどんな国?
6年間の駐在と多くの滞在経験を活かし、NZの魅力をお届けします。
<注記>
この記事は、2004年~2005年に書いたものです。現在のニュージーランドと異なる場合があります。予めご了承ください。
今回はNZの歴史を簡単に、ほんの少しお話ししたいと思います。
ニュージーランドの歴史
原住民のマオリ族
NZには原住民のマオリ族がいます。
11世紀か12世紀頃に南太平洋のサモアあたりからやってきたポリネシア人が先祖です。
色は浅黒く顔も日本人に良く似ていますが、身体は小錦までとはいかなくとも、その半分くらいは優にある巨人です。
この人たちが全国に散らばって住んでいました。
またこの島には猛獣や毒蛇の類は全くいないどころか、白人が持ってくるまで牛や鹿、羊等の食用になる動物もいませんでした。
唯一身長3メートルほどの「モア」というダチョウの親分みたいな飛べない鳥がいましたが、マオリに食べつくされ絶滅してしまいました。
19世紀に移民してきた英国人
17世紀にキャップテンクックがこの島を発見し、西洋に知られるところとなりました。
そして19世紀に入り英国人の移民が始まりました。
折から英国では産業革命の真っ只中で、朝早くから夜遅くまで働かされたそうです。
そんな生活に疲れ果てた人々が、新天地を求めてやってき、南極に近い南の方(オタゴ地方)から入っていきました。
南にはマオリ族が少なかったためだと思いますが、彼らを北へ北へと追い上げつつ、徐々に北へと領土を広げていきました。
やがて彼らの社会が出来てきたとき、合言葉が出来ました。
「一日を3等分し、8時間は働こう、8時間は睡眠だ。残り8時間はレジャーに当てよう」と。
昔ウエリントンにサミュエル・パーネルという人がいて、移民船が着くとこの合言葉を唱え、同意しないものがいると海に投げ込んだという言い伝えがありますが、本当にそうだったのかも知れません。
今でもこの伝統は守られているようで、よく働きよく遊びます。
やがてマオリ族は追い上げられて、北の端ワイタンギという所で条約に署名し(19世紀中頃)、この島は英国のものになりました。
現在、人口の10%程いるマオリ族はこの条約を不当として不満を漏らすも、表面上は穏やかな共存が続いています。
「キーウィ」と「オージー」
NZの人々は自分達のことを、この国にしかいない鳥になぞらえて「キーウィ」と呼びます。
そして同じ英国からやってきた隣国「オージー(オーストラリア人)」に対してプライドを持っています。
「自分たちは囚人の子孫ではない」と。
これはオーストラリアがかつては英国より島流しにされた囚人の島であったことを皮肉って言ったものです。
NZの苦難
その後NZは英連邦の一員として発展していきますが、その裏には英国の庇護があったことは事実です。
すべての産物は英国が無条件に買い取ってくれました。
しかし1975年、英国がECに加盟してからNZの苦難が始まりました。
英国は落ちぶれ、もはや子供の面倒を見られなくなり、NZも他国と競争しなければならなくなりました。
それまで競争のなかったNZは、「なぜこんなに良いものを買わないのか」と、相手に食って掛かったと言う笑えぬ事実もありました。
それでも白人のプライドを捨てきれず、しばらくはヨーロッパを見て貿易してきました。
しかし、ようやく遠いNZからでは競争に勝てぬことを自覚し、アジアに目を転じてきたのはそう遠くない時のことでした。
今や日本はもちろん、中国、韓国との貿易に力を注ぎ、多くの永住者を受け入れるようになったのも、この政策と無縁ではないと思います。
日本ではNZの記事が新聞に出ることはまずありません。
対してこちらの新聞には3日に一度は日本の記事が出てきます。
オークランド博物館
オークランドの高台に白亜の殿堂が建っています。
これはNZで最も歴史のある博物館で、マオリ族および南太平洋諸島の秘蔵コレクションは世界で最も壮大なスケールを誇っているとのことです。
時間が出来るとここを訪れ、NZの自然や歴史を勉強するのも楽しいひと時です。
それでは次回まで・・・・・。
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